藤井と40代からの素晴らしい世界

基本的には、ただの雑談です。

ボクとギターの出会いについて。(中編)

どーも、藤井です。

 

今回は、ギターを始めたきっかけの

高校生時代を書き記していこうと思います。

 

 

中学生3年生の時、

泊まりに来た友人と共に

人生で初めて一曲通して弾ける曲が出来た藤井少年。

そのまま、ギターにどっぷりかと思いきや

バンドスコアを買う経済力も無く、

受験勉強突入という事もあって

時々、その弾ける曲を弾くくらいで

またギターとも距離が出来てしまいました。

 

特に行きたい高校とかがある訳でもなく、

自分のランクのMAXの学校を選択し

進路相談では担任の先生に

「おまえの学力では、落ちるぞ!」

と念を押されても

「ふ〜ん。そうなんだ。」

くらいしか思わないような受験でした。

仲の良い友達がみんな受けてた高校も

滑り止めとして受験する事とし、

そっちは学力的に問題無かったので、

「その学校に友達と進学するんだろうなぁ」

と思っていました。

 

結果、ボク自身どちらの高校も見事に合格し

(舐めんな!当時の担任!!)

学力が低いけど

みんなと同じ学校に進もうと思ってました。

 

…がしかし、そんな時期に1人の友人の様子が

おかしいと思い始めたのでした。

 

「妙に距離感近くない?」

 

卒業が近くなるにつれて、

そいつ(男)がボクのパーソナルスペースに

入ってくる事が多くなり、

なんとなく自分の身に危険が降り注ぐような

悪い予感が強くなっていったのでした。

 

そいつは、みんなと同じ学校に進学する事に

なっていた為、

ボクはそっちを蹴り、

自分の学力以上の高校に進学する事になったのでした。

 

今となっては思い違いだったのかもしれませんが

この選択がのちのボクのギター人生を

決定付けるのです。

 

ちょっと無理をして入学した高校だった為に

仲の良い友達は誰ひとり一緒に入学している訳もなく

人見知りのボクにとっては1人ぼっちの高校生活が

スタートでした、、、

 

そんな中、入学してすぐに

泊まりの研修旅行みたいのがあり、

同じ部屋になったヤツとの出会いで

ボクの高校生活は一変しました。

 

そいつは

のちにその高校のインフルエンサー的存在になるヤツで

中学時代からバンド活動も送っているヤツでした。

 

研修旅行の夜、同じ部屋の先に寝たヤツの口に

ワサビを入れるなど、

たくさんの若気の至りの後、

バンドの話しになり、

ここで1発舐められたら終わりだと思ったボクは

「オレもギターやってるよ!」

 

と持ち曲一曲でハッタリをかましたのです。。。

 

話はトントンと進んでしまい、

「んじゃ、スタジオ入ろうぜ!」

となっていくのでした。

 

後に引けない状態になり、

課題曲として

B’zのalone

boowyのmarionnette

ZIGGYのGLORIA

のスコアを渡されて、必死に練習をしました。

 

初めて入ったタバコ臭いちっさいスタジオは

ボクにとっては未知の世界でもあり、

デッカいアンプで鳴らす音は

ロックスターそのものに感じられました。

 

ドラム無し、ベース、ボーカル、

んでギター自分の編成で音を鳴らしたのですが

aloneのチョーキングをしてタッピングをするとこを

決めた藤井はその日にギターが弾けると認められ

波乱万丈の高校時代が始まるのでした。

 

初めてのライブはそいつの紹介で

サイドギターを探していたバンドのヘルプでした。

何も知らずにヘルプにぶち込まれた藤井少年。

メンバー全員ヤンキーのバンドで

命の危機を感じながらも

ファーストライブは

LUNA SEA(当時ヴィジュアル系全盛期!)の

コピーバンドを見事に達成しました。

(リード弾いてたヤツはライブ中のミスにより…)

 

その後の高校生活は、

自分のバンドを組みL'Arc-en-Cielのコピーをやりつつ、

オリジナルを作ったりして活動を重ねていきました。

 

学祭でシャムシェイドのコピーバンドやったり、

自分達でライブ企画をやり

地元のヴィジュアル系バンドに出てもらったら

初めて売り上げが上がって

どうしたら良いか困ったりと、

高校時代の楽しい時間はあっという間に

過ぎていきました。

 

高校3年生になり進路を考える時期を迎えはじめ

なんかムダに尖っていたので

音楽学校に行ってプロ目指すのはなんかダサいと

思っていた為、

大学の4年間でなんとかしようと思い、

進学の道を選びました。

 

無事に大学に合格し、

なんの意欲もないまま大学に入学し、

バンド活動をしようと思っていたのですが、

当時のメンバーみんな違う学校に進学した為、

だんだん集まる事も少なくなり、

活動自体も無くなっていってしまいました。

 

そーなると、元々意欲も無く入った大学も

次第に通わなくなり、

1年くらいで自主退学する事になったのでした。

 

バンドも無い、やる事も無い

そんな藤井少年は

漠然とプロになりたいという思いだけを心に持ち

日々を消化していました。

 

なんもしていない事に負い目を感じ、

親からのなんかやれ的な圧力に負けて、

バイトを転々とし、

そのうち普通に就職をし、

音楽へのモヤモヤだけを抱えながらも

日々の生活の為に働く毎日になっていったのでした。

 

 

(後編)に続く。